今日も空が広い

アメリカの片田舎から思いつくままに…

多様性 パート2

多様性多様性、なんて考えていたらこんなコマーシャル見つけました。

ウェルズ・ファーゴという銀行が最近出したコマーシャルです。

 

www.youtube.com

 

 

女性が二人、手話を一生懸命勉強しているシーンから始まるのですが、最後のシーンで、この二人は結婚していて耳が不自由な女の子を養子に迎えるために勉強をしていたということがわかります。

 

そして最後にこのメッセージ。

 

“Everyone works hard for a reason. Working together, we can help you prepare financially for when two becomes three.”

 

「目的があれば皆がんばれる。二人が三人になった時の準備をお手伝いさせてください。」(うううん、訳がへたすぎ。。。。)

 

 まあ、このメッセージはどうでもよいんですが、LGBTの夫婦であること、LGBTが養子をもらうこと、しかも養子が障害を持っていることでちょっとこちらニュースになっているようです。

しかもしかも銀行超大手のウェルズ・ファーゴ

 

 こういうのを見ると、どう思います?

日本もこういうストーリーが増えたらいいなあ、と思います?

 

 私は結構感動してしまいました。

 

 多様性の許容って、やはりグラデーションな感じがします。

 

 

おそらく、これを10年前とかにみたら(いやもしかしたら5年くらいでも)、「え!!(かなり違和感)」って思ったのではないかなと思います。

 

でも今は「なんかジーン」。

 

で、あと5年くらいしたら、「え、っていうか普通じゃない?なんでわざわざコマーシャルに」みたいになるのでは。

 

 

こんな感情が連続的につながっている感じがします。

 

 

私が思うに、この変化のスピードをはやめるのが、アメリカだとやはりメディアな気がします。黒人の大統領も、同姓のキスも、最初に見たのはリアルな社会ではなく、テレビの中でした。リアルよりちょっと一歩先をいく社会を見せてくれるテレビドラマの世界、アメリカだと視聴率がこちらのほうが取れるのだと思います。

 

(逆にリアルよりちょっと前を描くのが日本のテレビドラマなような。やはりこちらの方が日本だと視聴率とれるんでしょうね。)

 

で、最初に見たときはドキッとするんですが、何度も見ているうちにだんだん普通になってくるんですよね。たとえテレビの中とはいっても。


そう、「許容する」なんて大げさなものじゃなくて、いってみれば「慣れ」なんだな、と思います。

 

 

こういうビデオを見たり、アメリカのドラマを見たりするとゲイカップルはかなり受け入れられているように思えるかもしれませんが、まだまだ激しく反対する人は多いです。特に私が住んでいるような保守的な州だとなおさら。特に敬虔なクリスチャンは頑なに反対している。ゲイにはサービスしない!と言い切っているビジネスもあります。また、子供がゲイだとわかったら家から追い出して子供がホームレスになるというケース、今でもたくさんあるそうです。

(コマーシャルのコメントを見ても、明らかにクリスチャンの人からのバッシングが見られます。。。)

 

でもアメリカの場合、まわりが黙っていないんですよね。自分はゲイではないけど、ゲイを支持する人、こちらが黙っていない。日本だとこのグループはつい傍観者になってしまうんですが、アメリカだと何事もSpeak Upの文化で育っているので、まあ、黙っていない。

あんたらクリスチャン、ちょっと頭おかしいんじゃないくらいの勢いで突っ込んでいく。

 

結果、反対する人が騒げば騒ぐほど、そうでなければ傍観者だった人達が立ち上がって支持をしていく、という構図ができたように思います。

 

 

まあ、日本は文化が違うので同じことを望むのは間違っているのですが、、、

 

でも、、、、

 

「ありえない」「無理」「なんか違和感」よりも、「ありじゃない?」「いけるいける」「応援する!」が増えるといいなあ~ と思います。        

 

多様性の許容度

いつも読ませていただいているこちらのブログのこの記事を読んでいろいろ考えさせられたのでちょっとまとめてみたいと思います。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

 

特にこの部分。

 

自分と(障害のある)その人たちは分かれているわけではなく連続体としてゆるやかに繋がっている

 

(カッコ内は文脈がわかりやすいよう私がいれました。)

 

本当にそうだな、と思います。

 

うちのオフィスに車いすの女性がいるのですが、私が最初に彼女に会った10年前は普通に歩いていました。その何年後かに、多発性硬化症という難しい病気になったことが発覚し、少しづつ体の機能が衰えてきました。最初はつえを使って歩けていたのですが、次第に難しくなり、この3年くらいは車いすです。

 

まさに連続体としてゆるやかにつながっている。

 

まわりにいる私達は車からの出入りなどを手伝ったり、同じ方向に行くときは押したりしますが、基本的には何でも自分でやっていて、特別なことは何もしてません。困ったことがある場合(例えばものを落としてとれない、とか)はすぐ言ってくれるので別にみんな心配していないし。逆に私が忙しい時は手伝ってもらったり。

 

(そういえば、大学時代にも車いすの友達がいたなあ〜。ヨシくん元気かな〜。)

 

教育の取り組み方として、まず啓蒙する、というのは王道なのかもしれませんが、スズコさんが懸念されるように線引きになってしまうのは残念だな、と思います。

 

あからさまな障害がなくても、弱者は存在します。

それは、食が細くて給食が食べきれないAさんだったり、かけっこが遅いBくんだったり、漢字がどうしても覚えられないCさんだったり。

そういう時、余分に食べてあげられるDさんだったり、応援してくれるEくんだったり、教えてくれるFさんがいるようなクラスは、車いすに乗った人がクラスメートになった時、適切な対応が取れるのではないか、なんて想像します。

 

なぜなら、その組織は一番の弱小メンバーを許容できる組織だから。

そしてその弱小メンバーは場面によって次々変わることがわかっているから。

 

でも正直、子供の多様性の許容度は大人にかかっている、と思います。

 

うちの子供が行く学校は、結構白人、黒人、ヒスパニックといろいろ混ざっているのですが、1年生の息子は人種のことは全然言いません。例えばこんな会話。

 

私:最近良く遊ぶイーサンってどんな子なの?

息子:すごく足が早くてマインクラフトが大好きでボブっていうお兄さんがいる。

 

っで、後日会ってみると、白人だったり黒人だったりミックスだったり。

 

私が夫に話すときはたいていこんな感じなので、

 

私:ケリーっていう黒人で去年結婚して今年双子を生んだ人がいて、、、

 

ちょっと反省。

 

でもこれは、おそらく彼の回りにいる先生が人種的なことを一切言わないから彼も言わないんだろうな、と想像してます。学校には車いすに乗っている子供もいるみたいだし。多様性に対して大人の許容度が高いから、子供の許容度も高くなる。

 

そしてこれからの時代、加速度的にいろいろなモノ、人、考え方がミックスされる中そこで柔軟に仲間を見つけていける人が強いだろうな、と想像しています。

 

だから私も時たま自分の多様性の許容度チェックしています。

そして本当に許容しているのか、という点を、家族のメンバーとして喜んで迎えられるか、という点に変換しています。

 

つまり、息子が将来結婚相手としてこんな人を連れてきた場合、私はそれを喜んで祝福できるか、ということです。

例えば:

  • 人種が違う
  • 言葉が通じない
  • 目が見えないなど障害がある
  • 女性へ性転換した男性
  • 犯罪歴のある人
  • お父さんがヤクザ

 

。。。3つくらいはきついかも。

(どれかは言えません!)

 

まだまだ修行が足りません。

 

 

 

 

 

 

 

「傷口から人生。」を読んで

なんかしばらく書く気がしなくなってしまい、ブログをだいぶサボってしまいました。

(でもブログって仕事とちがっていくらでもサボれるのがうれしい。)

 

はてブロ購読中の方が書かれた熱い感想文を読んで、すぐキンドルで購入し、読ませていだきました。

 

www.amazon.co.jp

 

 

痛い。。。

苦しい。。。。

 

軟弱な私は途中つらくなって休憩をしながら読んだのでずいぶんと時間がたってしまいました。

  

こちらの本の読書感想文です。

(読んでない人にとってはあまり面白くないかもしれません。すみません。)

  

母親との葛藤

 

やはりここに一番心惹かれました。

母親との対決とか。

祖母・祖父との関係とか。

 

私も母親なので、つい母親目線になってしまうのですが、小野さんの母親もきっとすごい怒りを抱えていたんだろうな、と思いました。自分の母親(小野さんにとっては祖母)に対して。

 

 

小野さんの爆発によって母親も祖母から求めていたものを得られた。

 

-それはもしかしたら、「ごめんね」という言葉だったかもしれない。

-それともそれは、暴力から守ってもらうという行為だったかもしれない。

 

 

なんだったのかはわからないけれど、それはお母さんの長く閉じた心を解き放つ鍵になった。

なんかとても皮肉なことだけれど。

 

 

家族でもそれぞれ別のストーリーがある。

でもそれぞれが自分のストーリーにどっぷりはまっていて、お互いのストーリーを理解できない。

なぜなら「どうして私を理解してくれないの?」という心の声が大きすぎるから。

 

 

 

 

夫婦でも親子関係でも、師弟関係でも、どうしても理解してもらえない関係を何年も続ける苦しみは、想像するだけでも息がつまる。

 

こういう本を読むたびに、私は、そっとその人の近くにいって、背中をさすりながらよしよしをしたくなる。

 

恨みたくないのに恨んでしまう。

That’s OK. You’re OK.

 

恨んでも仕方がないのであきらめて離れようと思う。

That’s OK. You’re OK.

 

怒りがあふれて仕方がない。

That’s OK. You’re OK.

 

 

 

That’s OK.

You’re OK.

 

よく考えるとこれまさに今、私が子供に伝えたいと思っているメッセージな気がします。

転んだといって泣いていたり、意地悪されたといって怒っていたり。

よしよし、つらかったね、といいながら、でも送りたいメッセージはこれだったりする。

 

 

大丈夫。あなたは大丈夫。

 

 

どんなにつらいことがあっても乗り越えられる人になってほしい。

がんばったり、方向転換したり、立ち止まったり、あきらめたり、ぶつかったり、しなやかに生きていってほしいと思う。

 

生きることさえあきらめなければ。

 

 

(何度もぶつかってぶつかって、くじけて、外にでて、また戻ってぶつかっていく、小野さんのそのあきらめない精神はすごい!)

 

 

自分の言葉

 

小野さんの自分の言葉に対するまっすぐな姿勢がいいな、と思いました。

うそっぽい、ハイテンションな飲み会が苦手なところとか。

 

(そういえば、高校のときの授業で「身体性のある言葉」というテーマを扱ったことがありました。たしか副題は「茶の間でロックンロールがわかるか!」(笑))

 

本当はだれだって、自分の言葉、自分のそのままの姿を受け止めてもらいたいと思っている。

 

身体を感じられない言葉ばかりが蔓延してしまうような気がしてします。気をつけないと。テレビでもインターネットでも飲み会でも家でも。着飾って着飾ってようやく認められる。でもその自分は素の自分とぜんぜん違う。

 

 

私は身体を感じられる文章が好きです。小説でもエッセイでもブログでも。

 

 

スペイン巡礼の旅

 

スペイン巡礼での出会いがたくさん書かれていたのですが、私も経験してみたい!と思いました。

 

でも私は60歳くらいになってから夫とゆっくり回ってみるというのにあこがれるかなあ。

いろいろな若者の話を聞きながら。

。。。。でも、体力的にかなりきつそう。。。。

(まあ、簡単にできることだったらそんなすごい体験にはならないわけですが。)

 

はたして??!?

報道を見ると、ISISの捕虜になっていた湯川遥菜さんが殺害されたというビデオが公開されたようです。

 

ひどい。

本当にこんなことしてなんの意味があると思っているのだろうか。

 

怒りとともに深い絶望と悲しみを感じます。

彼らは一体何を望んでいるのだろうか。

どんなメッセージを送ろうとしているのか。

彼らの望む世界と言うのはなんだろうか。

 

 

いつかわかり会える時がくるのかな。

…いや、一生わかりたくない。

今はそうとしか思えない。

 

ISISの日本人捕虜について思うところ

ISISによる日本人捕虜の件、最初に提示されていた72時間は過ぎたみたいですが、報道を見るとまだISISからの動きがないようです。時間をかけてなんとか捕虜開放に向かってほしいと思います。

 

こういった国際的な捕虜事件を見るたびに思い出すのが、大学時代に受けた講義です。たしか国際紛争といったような題の講義だったのですが、その一部でイランアメリカ大使館人質事件をベースにしたシミュレーションを行いました。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

かなり細かく人物設定がされていて、米国大統領やその側近、イラン政府、占拠しているイラン学生、捕虜など、一人ひとり役割が振り分けられ、(確か私は米国大使館に務める捕虜の一人だったはず)シナリオに基づき解決に向けて各自振り分けられた役割の中で解決していく、といったシミュレーションでした。私達がやった際は、最後に米国政府とイラン政府が交渉に成功し、捕虜は開放され、米国大統領役の子が簡単な演説をして終わったと記憶しています。

 

(おそらく交渉が決裂していれば、捕虜が皆殺しになるというシナリオもあったのだと思います。)

 

そして面白かったのが終わったあとのブリーフィング。

 

各役を演じた人がいろいろ感じたことを共有するのですが、大統領役の子(女性でした)は、「私はイラン政府との交渉では、相手側の金銭的な要求に対しては一切譲歩せず、それ以外の交渉力でのりきった」というようなことを言いました。



そして面白かったのが、次に発言した側近役をやった子の言葉。

 

「いや、実は大統領にも内緒で秘密裏にイラン政府と交渉していて、金銭の受け渡しをしていた。」

 

ということが明らかに。

大統領役の女の子もすごい怒って!!

 

側近役の子が言うには、大統領があまりに強硬で譲らず、交渉は膠着状態だったので、これ以外の解決方法はなかった、と主張。

 

同じチームでもお互い欺きあう必要が出てくる。

いや、たかがシミュレーションですが、本当に交渉の難しさを感じました。



実際の捕虜事件では、米国とイランでどのような交渉があったのかはわかりません。 ただ現在の米国政府のテロに対する対策は、「一切交渉しない」です。

 

米国人はおそらくどの国よりもターゲットになりやすい。交渉する姿勢を見せれば次々と捕虜にされことが予想される。

 

だから逆に捕虜が殺されれば報復措置に出る。去年米国人捕虜が二人殺されてしまいましたが、その後迅速に米国議会は動き、イラクやシリアにいるISISへの報復措置が行われました。



「我が国民が殺されれば、どんな仕返しが来るかわかってるんだろうな。」

 

睨みをきかせる。これが米国の姿勢ではないかと思います。

(やっぱりアメリカっていじめっ子?)



でもこんな姿勢、なかなか他の国ではとれない。

 

実際他のヨーロッパの諸国は何かしらの交渉をして捕虜が開放されている。

 

すごく難しい問題だと思いますが、日本も一億円くらい払って(20億ドルではなく。きっと捕虜に対する相場があるはず。)捕虜が開放されると良いなあ、と切に願っています。



その先にあるもの

 

前回に引き続き、日本の家族と仕事について考えています。

 

 現在変わりつつありますが、親世代の日本の家族運営で一番多いパターンを簡略化すると、このような状態かと思います。

 

妻→家事・育児を一手に引き受けている。

夫→家族を養う経済的責任を一手に引き受けている。

 

最近妻側の負担について非常に議論が盛んになっていますが(いいことだと思います)、私は、この夫の責任、自分が失敗したら家族みな路頭に迷うかもしれない重圧感といってもいいかも知れません、こちらも無視できないと思うんですよね。いや、かなりつらいと思う。

 

ではなぜこのような重圧感に男性が耐えられていたかというと、その重圧感をそのまま会社が負っていたから。

 

正社員は、「この会社にいたら、定年まではいけるだろう」と思っていた。また会社もそう簡単に人員整理はできない。社員とその家族に対して責任をおっている。(大企業の場合だけかもしれませんが。でも中小企業だとしても、アメリカ企業と比べたらハードルの高さは違うと思う。)

 

妻、夫、会社、の三角関係のバランスで、今の家族関係が保たれていた。

  

で、今後一番最初に、一抜けた!!!が始まるのは、会社なのでは、と危惧しています。

解雇規制がゆるくなり、必要な雇用調整が容易におこなわれる日は近いのでは、と。

 

投票に行く人は、定年を迎えた老人ばかり。

自分のことは棚に上げて「仕事をしない高給取りを守るよりも、自分の年金を守るほうが先だ!」と思っても不思議ではない。

 

今後一層、「この会社に勤めていれば大丈夫」とか「この職種についていれば大丈夫」は難しくなるのでは、と心配しています

 

男性は、家事・育児をシェアし、女性は、自分も家計を支えていくという責任をシェアする。

これ、男性にとっても、決して悪い世界じゃない、と思います。

 

(同時に、女性も家計を支えているのであれば、男性も家事・育児をシェアして当たり前!と考えるのは、当然だと思います。)

 

また、前回の記事ではちょっと違った視点でいろいろとこの問題について書きましたが、正論を言うことは、決して無駄でもないし間違っていないと私は思います。それだけ不満、怒りがたまっている。 「NO!!!!!」を突きつけるのは、大事な一歩だと思います。

 

では、だれに対して「NO!!!」といえばいいのか。

 

私が考える日本での一番の「敵」は、残業することや、夜の付き合いを前提とした仕事量だと思っています。

残業してもフルには払われず、夜の付き合いなんて、残業代すらつかないのに、それが仕事の前提になっている。

 

例えば社会がこんな感じだったら。。。

 

フルタイムは40時間。それ以上であれば会社は1.5倍のお給料で支払う。接待時間も仕事時間に含める。

違反したら、それを簡単に報告できる窓口を設置する。一定数あつまれば、調査をし罰則も発生する。

それでも改善されなければ、集団訴訟が起こせる。懲罰的罰則もあり。

大企業のみならず、中小企業も同じルールで。(ちょっとゆるくして従業員50人以上、でもいいですけど。)

部長級以上は、この縛りを受けないけれども、その分最低年収は1千万円。

 

。。。。とか?

 

子供がいるなし関係なく、仕事を8時間やったら大抵の人は普通に退社できる仕組みを本気で考えたほうがいいと思う。

独身の人だって、6時に退社だったら暇な時間が増えるから、出会いも増えるし結婚したいと思うかもしれない。

 

経営者は、従業員の時間の縛りがある中でどうやったら利益を出し続けられるかを考えてほしい。

無駄な会議はないか。無駄な業務はないか。必要であればサービスの値段を上げる必要があるかもしれない。

日本における全ての企業が同じ縛りを受けるのであれば、できない!なんて言ってられないと思います。

 

1週間100時間も働いたのに、60時間分しか支払われないなんて犯罪だ!という世の中に!

 

 

。。。もちろん、簡単にこのような状況になるとは思っていません。

どうしたらいいか。

 

どんどん独身も子供がいる人も、定時に帰ろう。

少しずつでも帰れる人から帰っていこう。

仕事をさっさと終わらせて、さっさと帰るのがかっこいい、となるように。

 

。。。。。。。と思うのですが、難しいですよね。。。。

 

あと最後に。

 

アメリカに住んでいるので、ついついアメリカと比較してしまうのですが、別にアメリカの仕組みが最高だと思っているわけではありません。アメリカも様々な負の要素があります。産休・育休もないし、保育園・幼稚園に対する補助金はほとんどない。だから高い。または低いけど質が悪い。

 

アメリカだってまだまだ問題山積みで、そもそも「公平性とはなにか」、という点で日本とは違う考えをする国だと思っているので、同じ仕組みを取り入れてもうまくいかないと思います。

 

日本は日本の独自路線で、この問題にとりかかって欲しいな、と思います。

 

妻と夫と家族と仕事

 

続編見させていただきました。

 


サイボウズワークスタイルムービー「パパにしかできないこと」 - YouTube

 

ふほー、日本では、こういったことを働くお母さんは求めているのかああ。

 

私は続編ではてっきり、ちょっと先を行くような、そこまでパパがするのか!みたいなことを、大変だけどたのしそうに、しかもかっこよくやっているパパが登場するのかなあ、と期待していたんですが。(ってそれ、前回の記事でのせたようなCMですよね。やっぱり日本には合わないかな。)

 

って思ったら、やはりかなりたくさんの働くお母さんから失望感を感じるブログや呟きを読みました。そ、そうだよね。

 

専業主婦みたいに、はっきりと役割分担が決まってたら、「いつもありがとう」ぎゅ-っもうれしいかもしれないけど(いや、専業主婦だって「ちょっとはオムツかえろや!」って思うかもね。笑)お互い仕事してたら、たとえ時短だとしても、「どうして私ばかり!!」て一回は思っちゃうよね。

 

難しい。

 

日本は過渡期なんだな、と思います。

だから正解がない。だからつらい。

 

アメリカだと(って主語が大きすぎるので、地方都市でホワイトカラーとして働いている身分から見える範囲では)子供が小さいうち熱がでて出社できないとか学校から呼び出しを食らうというのは、40代以上だと男性も女性も大抵の人は歩んできた道である場合が多く、社内でも、取引先でも、お客様先でも、日本より理解があって多くの場合時間の調整に応じてくれる。(もちろん、無理な場合もあるわけで、そうなると夫婦の「どちらを優先させるのか!」バトルが繰り広げられる。)

 

でもおそらくこれは、アメリカで60年代、70年代に起きたフェミニズム運動のおかげなんだと思います。専門家ではないので詳しいことは知らないのですが、その時代、女性達は、社会に対しては運動に賛成する代議士を送り込み法規制を整え、会社に対してはバンバン訴訟を起こし(いや、今でも訴訟はバンバン起きてますが)、夫に対しては育児を負担させ、食事は作らなくなり、掃除は外注し、それでもうまくいかなければ離婚してきました。

 

その結果、女性も多く働くようになり、それに伴い会社側も生産性を高めること、柔軟性を高めることに努めてきました。そして今、夫の働く職場では、たまたまですが、彼の上司もその上の上司も40代の女性で子供がいる共働き夫婦ということになっています。

(彼自身も部下がいる管理職で、上の上のもうひとつ上がCレベル(CEOとかCFOとかCOOとか)というポジションです。ちなみにこちらは男性で、このCレベルはやはり男性が多いですがこれもまた変わっていくと思われます。)

 

と、、、このようなことを書いてアップしようかと思っていたのですが、いつも読んでいるひじり子さんのこちらの記事を読みました。

 


サイボウズCMをDISる人々って意識高すぎてついてけないよねぇー - 働くオカンの思考を解剖したらこうなりました

 

読んでなんかニヤニヤしてしまった。

いや、まったくそのとおりだ。

 

妻VS夫も、女VS男も、既婚VS独身も、働くお母さんVS専業主婦も、働くお母さんVSイケメンも、働くお母さんVSサイボウズも、

 

全て全て不毛だ。

 

アメリカで女性解放運動が成功したのは、力のある男性で賛同してくれる人がいたからだと思っています。

また奴隷解放も、60年代の黒人解放運動も成功したのは、力のある白人男性で賛同してくれた人がいたからだと思っています。

 

チームはどんどん増やしていかなくてはいかない。

仲間割れしている場合じゃない。

 

 。。。。。そう思うと、「パパにしかできないこと」ビデオも違った目で見えてきました。これって、パパが思う、「ママがこういう風に思ってくれたらいいなあ」というビデオなのでは。

 

以前、私の夫が母と子の絆の前で疎外感を感じている話を書きましたが、意外に日本のパパも同じような気持ちになっている人がいるのでは。

子供に仕事に家事に追われているけど、やっぱり妻には夫の私が必要なんだ、と確信したい。妻に求めてもらいたい。なぜなら、夫は、妻からのぎゅーっで、なんでも頑張れるから。

 

 

。。。。。。かもしれない???

 

 

と思い始めたら、なんか夫サイドも可愛い、いじらしいなあ、なんて思えてきました。

 

 

今晩、だんな様が帰ってきた際に試してみてもいいかもしれない。

夜遅く、子供がもう寝静まったころ、帰ってきた夫にこうつぶやいてみる。

 

 

「なんか今日一日ハチャメチャでなんかすごい疲れちゃった。ちょっとでいいから、ぎゅーってハグして。」

 

 

 

いやいや、効果絶大かもしれないですよ?

 

 

 

お父さんの応援歌

こちらの動画をみて、


働くママたちに、よりそうことを。|cybozu.com

 

こちらのブログを読んで、

 


子育てを大変だと感じる本当の理由|子どものこころが穏やかに育つ魔法の育児法〜ママちゃん3人の子育て満喫中☺︎〜

 

胸がキューっとなりました。

そうそう。まだ体が覚えている。あの途方に暮れる感じ。

 

でもこんなに私は追い詰められなかった。

なぜなら、6時には帰ってくる夫がいたから。

子供が病気になれば一緒に家にいてくれる夫がいたから。

(私も夫も自宅勤務ができ、パソコンさえあれば仕事できる体制だったので。ただミーティングとかあると、お互い調整が必要で、やはりそう簡単にはいかないこともたくさんありました。)

 

女性活用!!!と大きく叫ばれていますが、男性も変わらなくては女性も変わらない、と思います。

 

どうしたら変わるのか。

 

でも辛さばかり前面にでちゃうと勿体ないなあ、と思ってしまう。

 

以前も書きましたが、私は育児というのは、激しく触れる振り子みたいで、「きつー!!」という場所と、「見てるだけで愛おしくて泣けてくる、、うう。」という場所をいったりきたりする。

 

どちらもお父さんに味わってもらいたいな。

つらいだけではないんです。

 

なんかお父さんの応援歌みたいな動画ないかしら、と探したら、こんな動画を発見。

笑えるー!(英語です)

 

Cheerleader | National Responsible Fatherhood Clearinghouse

 

そう!お父さんだってチアリーダーになれるのです!子供のためなら!!!

 

Take time to be a Dad today.

 

「そして父になる」 を見て

週末、是枝監督の「そして父になる」をみました。

 

とてもよかった。

そして考えさせられた。

  

おそらく、知らない人はいないくらい有名な映画だと思いますが、簡単にあらすじを書くと、子供が6歳、小学校入学する直前くらいに、実は子供が生まれた病院で他の子供とすりかえられていたことがわかり、葛藤する家族を描いた映画です。

 

感想です。

 

前半は、とにかく福山雅治演じる野々宮良太パパに腹が立って仕方が無かった!!(笑)

 

とにかく心を閉ざしていて、妻にも子供にも心を寄り添う努力を全くしない、エリート街道を駆け上ることしか目に入っていない父親。 My problem  が  our problem  に展開できない、すべて自分で解決しようとする、クールで冷徹な父親。

 

。。。こういった男性、本当に苦手です。。。

 

福山雅治だったとしても、こんな男性と結婚したくない~!!!

(いや、相手のほうから払い下げですから、全く問題はないのですが。笑)

 

 

でも中盤、なぜ彼が心を閉ざした男になったのか少し垣間見れます。そうかそうか、彼も家庭環境が複雑でいろいろあったのね。明らかに父親を嫌悪しているのに、父親の「馬のサラブレッドと同じで血が一番だ」という言葉に翻弄される良太。

 

 

でも前半これだけクールで感情を表さない父親を演じているからこそ、感動する終盤。

 

 

カメラの写真を見て6年間育ててきた息子、慶太がどれだけ自分のことを愛しているかに気づく良太。そしておそらく初めて、子供が生まれてから初めて、心の底から慶太を愛おしいと思い、抱きしめたい、と思った良太。

 

一滴涙がこぼれるか、、、といったくらいの感情の発露なのですが、初めて良太が「自分はこの子のかけがえの無い父親なのだ」と思った瞬間に、私も涙どわーーー。

 

いや、本当に、子供の親に対する愛情に比べたら、親の子供に対する愛情なんてちっぽけだな、と思う。子供が小さいうちは。

 

 

 

ストーリーとしては、かなりドラマチックな展開なのですが、それを淡々と見せる是枝監督。静かに、丁寧に見守る監督の目線がとても心地いい。

 

おすすめの映画です。

 

 

(唯一、不満に思ったのは、やはり展開が強引すぎるのでは、という点です。いくらなんでも今の日本で誰の反対も無く、あんなにスムーズに交換することになるとは思えない。。。海外では、日本ってこういう国なんだな、って思われてるかも。。。。このストーリーは、良太の父親としての成長がメインテーマなので、それ以外をそぎ落とした、というのは理解できるのですが。。。アメリカ版はそこをどう切り抜けるのかな。。。。ブツブツブツ。。。。)

 

 

夫婦の時間の作り方

前回、夫婦の関係って大事だと思いますよ、というような記事を書いたのですが、子供がいて、仕事もして、ってなると本当に忙しい。なかなか二人だけの時間って、難しいですよね。子供に対しても罪悪感があるし。

 

以前アメリカの夫婦関係を映画の一こまで紹介したこともありました。

 


the most delightful people you will ever meet in your life - 今日も空が広い

 

 

うちは、ラッキーなことに家族で見てくれる人が近くにいて、よくお願いしていましたが、そうではない人も多いと思います。その場合、何かないかなあと思って、考えてみました。

 

もし家族で友達になっている人がいれば、お互い一ヶ月に一回とか預けあうとか?

たとえば、友達がぼそっと「このコンサートいけたらいいなあ」などといった瞬間を逃さず、「子供預かってあげるから、夫婦で行ってきなよ!」とすかさず提案する。そしたら、きっとその友達も預かってくれるし、それを定期的に運営する、  とか?

 

無理?

 

では、夫婦で仕事を休むというのはどうでしょう。

年がら年中めちゃくちゃ忙しい職種というのもあるかと思いますが、大抵は、忙しい時期とそうでもない時期ってありますよね。今日は出社しなくてもそれほどインパクトないかなー、というような日。それをうまいことあわせて夫婦で休む。幼稚園・保育園のお迎えまでデート、   とか。

 

やっぱり無理??

 

だったら、誰かそういったサービスを始めてはどうですかね? アメリカでは結構いろんなところで  Parents Night Out (親デート)というイベントをやっていて、金曜日とか土曜日の晩3-4時間くらい一時預かりをしてくれたりします。スポーツセンターとか、子供の遊具がある施設とかで。(乳幼児は難しいので、4,5歳くらいからかな。)最近子供の学校からも案内がありました。大人が運営しているのですが、ある学校の体育館を使って高校生をベビーシッターにして、子供を集めて遊ばせてくれる。一人1500円、二人め以上は一人500円みたいな感じで。(おそらく夕飯はピザ。)12月の中旬にあるので、高校生にとってもクリスマス前のいいバイトになるのでは。

子供が料理教室や空手体験教室に行ってる間夫婦でレストランで外食する、とか?

 

 死別や離婚がなければ結婚相手って誰よりも一番時間を一緒に過ごす人になる可能性が大きいかな、と思います。会社の同僚よりも親よりも子供よりも。だとしたら、リソース(時間とかお金とか気持ちとか)をかけて関係をメンテしていくことが必要かな、と思ってます。

 

なんて、自戒をこめて書いてみたり。

こういう事を意識していても離婚しているアメリカ人はたくさんいて、やはり夫婦って難しい。。。(こちらにいると、ちょっと辛抱タラなすぎじゃない???って思っちゃいますが。)

 

夫と喧嘩したら、これ読んで冷静になろう。

 

…いや、その時は、これを全否定するような記事を書いてるかも…