今日も空が広い

アメリカの片田舎から思いつくままに…

対話をするということ

前回に引き続き、対話ということをつらつらと考えています。

最近「はい、論破」というコメントを見たからです。

なんかちょっと衝撃を受けて。

 

「はい、論破」

これって対話と正反対ですよね。

相手は絶句するしかないから。

 

以前も書きましたが、相手を絶句させるような言葉は呪いの一つだと思っています。

相手を支配して生気を失わせる言葉。

motaken.hatenablog.com

 

大抵の場合はこう言った発言をする人はその人自身、人間関係が支配関係にあるってことじゃないかな、と思います。自分も支配されて苦しいからから別の相手を支配したい。その人の言語環境にはこういった言葉が蔓延している。

 

相手を支配しても自分は自由にならないのに。

 

論破して楽しいと思う人は、本当に対話するということを知らない人かな、私は思います。

 

私が本当に楽しいと思うのは自分が発した言葉が相手に響いて、行動に変化があって、いい結果につながることだと思います。

 

また相手の言葉が自分に響いて考え方や行動に変化があること。

 

だから私はなるだけ人に栄養となるかもしれないと思う言葉を選んで発していきたいな、と思います。特に家族など大切な人には。

(まあ、しょせん未熟な人間なので感情的に怒ることもあります。。。でも反省したら素直に謝ればいいとも思っています。)

自戒を込めて。

 

 

ああ、そうそう、昨日書き忘れたんですけど、「ミステリと言う勿れ」の主人公、久能整君、アスペルガー症候群っぽいな、と思ってたんですけどそう思う人いますかね?