映画「オデュッセイア」を見てきました。
今アメリカではとても人気なようで、IMAXのチケットは当日だと端っこしか予約できないので次の日のチケットを購入しました。(こんなこと、最近はほとんどありません。)

圧巻でした。
まさにエピック。
ギリシャ神話しかり、シェークスピアしかり。何千年、何百年と語り継がれる物語の深さと言葉の重さ。それを現代のセンシビリティとテクノロジーで丁寧に紡がれた、あっという間の3時間でした。
ちょっと似てるところがあるな、と思ったのは日本で見た「国宝」でした。
どちらも何十年という一つの時代を感じさせる壮大な物語。
自分ではコントロールできない大変な出来事に翻弄される主人公。
天才的な才能故の成功と挫折。
人間の業の深さ。
最後は一人の人間としてのパーソナルな物語。
画面いっぱいに広がる幾重にも見える複雑な表情をみせる役者たち。本当に役者ってすごいな、と思います。
映画をみてちょっといろいろ思い出してきたので、「国宝」と「オデュッセイア」についてそれぞれ思ったことを。
(ネタバレもあるかもしれません!!!!)
「国宝」
- 今年4月に見に行ったのですが、ほぼ満席でびっくり!確かにすでに上映館はかなり少なかったですが、それにしても!
- とにかく役者の方々が素晴らしいと思いました。もちろん主人公もそうですが、喜久夫の子供役の方もとてもよかった。自分の父親が雪の中殺されるシーン、恐ろしいけれど同時にその美しさに魅入られてる、その演技が素晴らしいなと思いました。またそのシーンが最後のシーンと繋がる感じ、とてもよくできてるな、と思いました。
- また万菊さん役も本当にすばらしかった。彼(彼女?)がでてくるシーンは本当に緊張感があって映画の中でとても効果的だと思いました。
- 唯一残念だな、と思ったのは女性の描かれ方がとても雑だな、と思ったことです。もちろん歌舞伎は男性社会、男性中心の物語であることはよくわかります。でももう少し丁寧に描かれてもよいのでは?
- ちなみに映画をみて一番感じたのが「業の深さ」なんですけれど、それって一体なんだろうと思ってAIと対話した回答がこちらです。
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「業の深さ」は、単なる“執念”や“努力”よりも、もっと人間の根っこにあるものを指します。
まず「業」という言葉自体は、もともと仏教の概念で、人の行い・選択・欲望の積み重ねが、その人の性質や運命を形づくるものという意味があります。善いことも悪いことも含めて、「その人をその人たらしめている力」です。
映画『国宝』で感じた「業の深さ」は、例えばこんなニュアンスに近いです。
- 芸に取り憑かれてしまい、普通の幸せ(家族・安定)を犠牲にしてでも離れられない
- 理屈ではやめた方がいいと分かっていても、やめられない衝動
- 才能や環境ではなく、「どうしてもそう生きてしまう」避けがたい方向性
つまり、「努力している」というよりも、そうせざるを得ない宿命のようなものです。
芸の世界だと特にわかりやすくて、歌舞伎や伝統芸能では「芸に生きる」ことが美しくもあり、同時に恐ろしくもある。なぜなら、その人の人生が芸に“食われていく”側面があるからです。
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「オデュッセイア」
- またしてもマット・デイモンの帰還物語。Memeにもなってますが、私ですら、どんだけ彷徨う男やねん!って突っ込みたくなります。(笑)
- 業の深さ、という点においてはこちらの物語も本当に業が深い、というか、その業を丁寧に描いている、という気がします。正直その深さにおいては「オッペンハイマー」に近い気がします。またクリストファー・ノーランが今、そのような映画を連続して撮ってるということにも意味があるのかな、なんて思います。
- 男社会による男の物語なんですけど、ちゃんと女性の物語も節々に入れているのが素晴らしいな、と思います。特にキルケー(Circe)役のSamantha Mortonはすでにオスカー候補を囁かれたり。映画全般、女性の出番は本当に短いのですが丁寧に描かれていて印象深くさすがだな、と思いました。
- 唯一残念だな、と思ったのが音の大きさです。こちらは映画館によるのかもしれないですが、とにかく耳が痛くなるくらいに音が大きすぎる。かと思うと人が囁いてる時は言葉聞き取れないくらい小さくなる。これはちょっと残念でした。
人間の業の深さ。
その美しさと恐ろしさに惹きつけられて人は何度も見たくなるのでしょうね。






