今日も空が広い

アメリカの片田舎から思いつくままに…

Truths, Lies and Everything in Between

最近、ステマとか、2chで注目されてる(?)「ゲーセンで出会った不思議な子の話」の絡みで、ネットに蔓延する「嘘」について否定派と許容派に分かれているようです。

実は私も「ゲーセンで出会った不思議な子の話」を読んで泣いた愚か者です。(酔っ払ってたのよ!笑)読むにつれ、話ができすぎてて9割方作り話かなー、でも本当だったら悲しいけど素敵な愛の物語だなー、と思ってました。

当然嘘でしょ、と言われれば確かにそうだろうな、と思う。ちょっとでも本当だと思うなんてバカじゃないの、といわれたら、ごめんなさい、バカですと思う。

でも例えばもし最後に「ごめんなさい、これ俺の創作でした」なんてかかれてたら、やっぱり、と思う反面、本当の話かも、、、という余韻がいいのだからわざわざ書かなきゃいいのに、と私は思う。。。。

作り話を本当の話のように語るのは、ただの嘘つきだ!許せん!と怒る人がいる。
そんな話にだまされる人を、バカ、だまされるな、目を覚ませ!と叱咤激励する人がいる。
君たちのような人がいるから、だます人がいるんだ。

そうかもしれない。いい人だ、と思う。学校の先生のようだ。なのに素直に響かないのはなぜでしょう。

確かに私だってなんでもかんでもだまされて言い訳じゃない。お金が絡んだ嘘は私も怒る。人を攻撃するような嘘、身の安全が脅かされるような嘘(真実も?)はもちろん許せない!
私も社会に嘘やデマがどんどん蔓延すればいいと思ってるわけじゃない。

でも結局のところ、嘘やデマがなくなることなんかありえない。いくらたたかれても、嘘を書く人、デマを広げようとする人は常にでてくる。
だったら、嘘・デマを含む情報とのうまい付き合い方が必要じゃないか。


明らかな嘘もあるけど、なかなか見極めが難しい嘘もたくさんある。

アメリカでも結構前から、HOAXと呼ばれるデマがよく出回ります。結構よくできていて、場合によっては、テレビでも取り上げられた後、HOAXだと分かってテレビ側が謝罪するなんて事もある。たくさんあるけど、例えばBonsai Kittenとか。私がたまにチェックするtheChiveというウェッブサイトのネタとか。(Wikipediaで調べると出てきます。)www.snopes.com www.hoaxbusters.org というデマかどうかを審議するようなサイトもあります。
(だからといって、日本でもたくさん出てくればいいというわけじゃないよ。たとえ話ね。)

ハリウッド映画の世界でも「Based on/ Inspired by True Story」なんていっているのに、実話とはかけ離れている映画もありますよね。
(と思って調べてみたら、コーエン兄弟の「ファーゴ」という映画では、最初に「これは1987年ミネソタで起きた実話を基にしています」なんて断り書きを入れておいて、最後にはフィクションだよというオチまであったらしいです。昔見たけど、全然覚えてなかった。。。)

考えてみると確かに私にとっても実話と作り話では受ける重みは違う。例えば映画「硫黄島」の重みは、同じ戦争でも「スターウオーズ」で受ける重みとは全然違う。(例え悪い?)「東京タワー」だって実話でなかったらあれほど流行らなかったかもしれない。嘘をついて実話だよ、という宣伝はずるいといえばずるい。

許せる範囲と許せない範囲の嘘はどこなのか。
うーん、奥が深い。


私の場合、こめられた裏のメッセージが黒か白か、という判断かもしれない。

例えば、ゲーセンの話の場合、受け取るメッセージが「しめしめ、ばかどもが引っかかってる。全員あほすぎ!」だったら、たぶん全部読んでなかった。
確かに50代くらいのゲーセン店長のおっさんがゲーセンの復興を期待して書いている可能性だって無くは無い。
でも、私が読んで受けたメッセージは、「俺の物語(ファンタジー?)を聞いてくれ!」だったのよね。私が知らないゲーセンという場所に対する愛とか、ゲーム好きな男の子が好きな女の子のタイプとか、おもしろいな、と思った。

逆に本当の話でも裏のメッセージが真っ黒だと「うへえ〜」と思う。


この裏のメッセージは人によって受け止め方が違うから私が正しくて、あなたが間違ってるなんていえない。コンセンサスをとるのは難しい。
だから怒る人の気持ちもわかるし、賛否両論あるのも分かる。

ネットというのは、テレビや本と違って本人以外誰にも編集されることも無くポンと人目に付くところに乗せられる仕組みになってる。そこに面白さもあるし、恐ろしさもある。だからこそ読者は、言葉どおりに受け止めるとか言葉尻に反応するのではなく、言葉の裏側にあるメッセージは何か、どんな人がどんな思いを持って書いているかを読み取るセンサーを磨くというのはよおく考えてもいいかもしれない。
(なんてえらそうに書いてますが、私もまだまだ修行がたりません。。。)


以前読んだ田口ランディーさんのエッセーで、彼女が昔パソコン通信にはまっていたときの話が印象に残っています。

「で、私は一年もしないうちに「たったの一行の書き込みから、相手の性質を察知する」という能力を身につけていた。つまり、ハンドルネームのつけ方、助詞の使い方、顔マークの使い方、微妙な言い回し、句読点の打ち方、そういう「言葉の使い方」から相手のタイプを直感的に察知するのである。(中略) たくさんのメールを読んでいるとそれがカンでわかるようになってくるのだ。もちろんはずれるときもあるが、この「言葉から受ける印象」というのを私は非常に大切にしている。そしてちょっとでも「ザワザワ」した感じがあるときは、その相手には近寄らない。」

「スカートの中の秘密の生活」より

うーん、早くこんな域に達したいものです。