今日も空が広い

アメリカの片田舎から思いつくままに…

what goes around comes around…

ネットで明らかに相手を傷つけるようなコメント、人をバカにするコメントを読むたびに、この人はもしかして普段同じように人から傷つけられ、バカにされているんではないか、と想像してしまいます。しかもネットという漠然としたものからでなく、身近な人、例えば親、子供、友達、配偶者、上司、教師、彼・彼女などから。

人に対して敬意が払えないのは、おそらく自分も人から敬意をもって接してもらっていないからじゃないかな。

だから腹が立つ、というよりは、胸が痛む。

そういう人間関係が、そういう言語環境が、蔓延しているのかもしれない。

私は間違いを指摘されるのは全然問題ないけど、バカにされるのは嫌いです。(まあ、たいていの人はそうだと思いますけど。)だから人からされたくないことは自分でもしない、ということをルールにやってきたいな、と思ってます。



でも馬鹿にしたり見下したりすることの本当の危険性ってめぐりまわって自分がその立場に陥った時の恐怖ではないでしょうか。昔見下していた人にいつのまにか自分がなってしまったときの恐怖、みたいな。


林真理子さんはこういった人物の描写本当に上手だな、と思います。
下流社会」とか。


息子が引きこもりになり大学にも行かない、そういった状況になって感じる恐怖は、子供のころウチは違うと思っていた貧困家庭に息子がなるかもしれないという恐怖。

仕事も育児も必死でこなしている女性をみて「自分にはとても無理」と感じた娘は、だんなが欝になって仕事をやめさせられると、子供を抱えて実家に戻るという選択肢しかない。


もっともっと選択肢はいろいろあるのに、自分の呪縛にとらわれてしまう。


だれだって解雇されたり、貧乏になったり、病気になったり、障害者になったり、未亡人になる可能性はある。
柔軟に対応できるように、今から心の柔軟性を鍛えておこうっと。