今日も空が広い

アメリカの片田舎から思いつくままに…

いじめ

いじめ自殺が最近話題になっているようです。
本当に胸が痛い。
私もまだ小さい子供がいる親なので、今後子供がいじめっ子にもいじめられっ子にも十分なる可能性を考えると、全然人事ではないです。


アメリカでも最近非常に話題なったいじめ自殺がありました。
ルトガー大学で、ある学生が、いたずらに同じ寮に住むゲイの学生とそのボーイフレンドの密会を盗み撮りし、それを苦にしたゲイの学生が自殺しました。
こちらは刑事裁判になり、最近刑事のほうで判決がでましたが、盗撮した学生は30日間の禁固刑を罰せられました
(アメリカでのいじめは、ゲイの子供たちに向けられることが多いようです。また最近Bully(いじめ)というドキュメンタリー映画も公開され、アメリカでも問題視されています。)

いじめ(または差別といってもいい)はいつの時代もあったし、どこの国でもある。
自然発生的に起こるので、まったくいじめのない社会、というのは理想的だけれども非常に難しいと思う。

でもエスカレートするのを防ぐことはできるのではないか。
いつまでも長く続くいじめにはなにか対処できるのではないか。
死ぬしかない、と思いつめる前に、何か大人はできないのだろうか。


いじめられた経験談をいろいろと読むと親にはなかなか言えない、という話をたくさん読む。
心配させたくない、とか、分かってくれない、とか。さらには、言っても無理やり学校に行かされるだけ、とか、親が悩んで余計苦しい、とか。

ごめんなさい。


親としては、元気でにこにこ学校に行って欲しいんだよね。
たくさんの友達といっぱい遊んで。
理想としては。


で、学校に行きたくない、と言われるととてもうろたえる。

え、、、、、って。


でも本当は、学校に行きたくない、って言うのだけでも結構勇気がいるんだよね。
つらい、っていう弱音を吐くのは、時には強気でいるよりエネルギーが必要。


ちゃんと感情を伝えてもらえる関係を親としてどのように築き上げればいいのか。

親として自分に言い聞かせることとしては、
まず、自分のアンテナをきちんと子供にいつも向け、小さい変化を見逃さない。
つい忙しいと忙しいことにかまけてしまうので。
いつも見てるよ。愛してるよ。  
他人にどう見られるかなんて関係ない。一番大事なのは君だよ。
―――を忘れないようにしたい。

「うちの子がまさか」は本当に危険だ。

あとネガティブな感情も含めていつでも優しく支えたい。
(アメリカにいるとみんなとてもポジティブでついその心意気に圧倒されてしまうのだけれど)
泣き叫んでもいい。
暴れてもいい。人に暴力をふるうのでなければ。
優しく受け止めたい。
泣き止むまで待つから、でもその後は、ちゃんと言葉で表現して欲しい。
何がつらいのか、何を考えているのか。
とにかく耳を傾けたい。
日ごろから感情を押さえつけないようにしたい。
自分も含めて上手に表現できるように日ごろから気をつけたい。

ただなかなか難しいのは、すぐ弱音を吐くようになるのも困るということ。
いいよいいよ、行かなくても、学校なんていかなくたっていいのさ、と、もうちょっと頑張ってみよう、は、どうやって使い分けたらいいのか。


理想としては、「これはやばい」という時は何か感じる、、、といいのだけれど。
普段からアンテナをきちんと向けてたら子供の「これはマジだ」を感じられる。
本当にそう信じたい。。。。怖いけど。。。。
(でもこれには自信がないので、これからもいろいろ読んで勉強したい。)


また学校の運営も本当に難しいな、と思う。

思うに、「いじめは絶対にあってはならない」という姿勢だと苦しいのではないか、と思った。
そうすると導き出せる対策は、「いじめはない」ということだけ。
あっても知らなかった、なかったことにする、隠す。
これは最悪だ。

本当に問題なのは、いじめがあったことよりも、それを放置したことによるエスカレートだと思う。


やはりいろいろないじめの体験談をよむと担任教師があてにならないケースが本当に多い。そういうケースが多いということは、その人の資質というより、制度的な問題だと思う。「いじめられてます、助けてください」といわれてもどうしていいか分からない。そういった場合の訓練を受けていない。


また「いじめがあってはならない」という空気の中で、先生自体が他の先生や校長先生からのサポートを得られない。孤立する。これが一番問題ではないだろうか。


別にいじめが起きるのは、学校の責任でも担任教師の責任でもない。
でもそれを知っていて放置するのは、学校の責任だ。


なぜ学校は放置するのだろうか。少しずつエスカレートするから、感覚が麻痺してくるのか。
一歩対応を間違えたら、死にいたるくらい大事になるという覚悟で対策をどうしてたてられないのか。まさかうちの学校でそんなことは起きない、と思っているのか。


担任の先生が、校長先生や他の先生に「クラスでいじめられている子がいるので、一緒に対策を考えてください」といえる環境をどうして整えられないのか。


いじめがおきたらどうしたらよいのか、という観点で、対策をたてている学校ももちろんあると思う。それを広げるのはどうしたらよいのか。



(ちなみに、アメリカ人であるだんなに、もしわが子がひどいいじめになっているとしたらどうする、と聞いたら、まず、担任の先生に話しにいく。それでも何もいじめに変化がなければ校長先生に相談に行く。だめなら、教育委員会、メディアと次々と上にエスカレートしてとにかく対応してくれるまで戦う!!一番大事なのはうちの息子だ!!!彼らの職を失おうと知ったことではない!!!といってました。日本ではモンスターペアレント?)


気をつけなくてはいけないのは、今回アンケートによっていじめが広く知れ渡っていたことが確認されたが、その他の学校の関係者が学ぶことが、アンケートをとったのが悪い、ということになってはいけない、ということだ。
逆にこれを真剣に考えるのであれば、あらゆる学校でアンケートをとったほうがいい。


そう、アンケート。今回の大津市のいじめ自殺では、このアンケートの結果が大きくニュースになりました。たくさんの生徒がいじめが悪質でひどいものだったことを記述しました。
自分の名を記したアンケートもあったことがニュースには乗っていました。



えらい。
あなたたちは本当に希望の光だ。

想像してみたい。
自分が中学生で、クラスで本当に恐ろしいほどのいじめを受けているクラスメートがいるとする。
いやだなあ、と思ってるけどそんなことを言って自分がターゲットになることはすごく怖い。
いじめっ子がいなくなればいいと思っているけど、言えない。
そんな弱い自分に葛藤を覚える。
いじめを横目で見ながら見ないふりをする。
そんな恐怖の中毎日学校に通ってる。

学校の先生たちは明らかに知っているはずだけど、何もしない。

ここから学ぶことは、ひとつ。

とにかく「空気」を読んで、目立たず、悪いものには巻き込まれないようにすること。

もちろん、一番であり最大の被害者は、自殺した少年だったと思う。
その思いを想像すると、、、、、  本当に言葉がない。絶望感しかない。

ただ、そのいじめを傍観している子供たちも、広い意味では被害者だと私は思ってる。


おそらく、いじめられている子供にとっては、傍観者は、加害者の一部だろう。
どうしてなんとかしてくれないの??!?、という。

でもできない。
怖いから。
親だって先生だって何もしないんだもん。

私の子供がこの学校に通っていたら、例え学年が違い、いじめには一切関係なかったとしても、転校も考えると思う。(もちろん子供と相談してね。)うちの子供がいじめられたわけではないから関係ない、とはとても思えない。


校長先生を替えて欲しい。新しい校長先生にはきちんとこのいじめを調査をし、公表し、今後のいじめに対する姿勢を見せて欲しい。子供が一人死んだという事の重大さを共有したい。
また加害者は、調査を元に、きちんと法の下で裁かれて欲しい。


私が保護者の一人であれば、他の親と連名で校長先生と教育委員会に対して(担任ではなく)抗議したい。対応してもらえないのであれば、子供達に学校をボイコットさせてもいい。


いじめ自殺をなくのは、傍観者が立ち上がれる社会だと思う。

アンケートに答えるというのは、本当に勇気がいる行為だったと思う。
これは学校や社会に対する挑戦状であると同時に「誰か助けて」という心の叫びではないかな。


勇気には勇気をもって答えないといかない。

次の大人の動きを、子供たちは真剣に待っている。