今日も空が広い

アメリカの片田舎から思いつくままに…

なぜ人を殺してはいけないのか − ひとつの解、かも?

なぜ人を殺してはいけないのか。

法律が禁じているからでも、宗教で禁じられているからでも、「命の教育」でそういっているからでもなく、


−それが、人間の本能だからである。


人間の本能だから、
「どうして人を殺してはいけないのか」というのは、

「どうして赤ちゃんは2,3ヶ月くらいで笑うようになるのか」とか、
「どうして人から感謝されるとうれしい気持ちになるのか」とか、

と同じように非常に答えにくい質問なのではないだろうか。


「人を殺すということに嫌悪感を感じる」というのは生まれる前から脳にプログラムされていることなのだ。


―――かもしれない?



そもそも私がどうしてこんな難しい問いについてブログを書こうと思ったかというと、人間の倫理観についておもしろいラジオ番組を聴いたからです。

人間の倫理観についてさまざまな観点から研究している人たちのインタビューを通して、そもそも倫理観って何?どうやって測るの?どこから来たの?を探っていきます。

(英語です。2回聞いたぐらいで書いているので間違ってる部分もあるかもしれません。その場合は訂正しますのでご連絡ください。)

Morality by Raiolab
http://www.radiolab.org/story/91508-morality/


最初に紹介される研究は、ジレンマをテストする質問をたくさんの人に回答してもらいその答えを比較するという研究です。

で、その問いについて書こうと思ったら、すでにWikipediaでその内容が。
こちらをご参照ください。

トロッコ問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C

番組では最初の二つの問いについて取り上げており、5人を救うため分岐点を変え一人を犠牲にすると答えた人は10人中9人でしたが、5人を救うため一人を自ら突き落とすと答えた人は10人中一人という結果だったと紹介しています。

レバーを引くのみであれば一人の犠牲もしょうがないと思い、でも自分が突き落とすとしたらそれはできないと言う。


同じ、5人を救うために一人を犠牲にするのか、という問題なのになぜ?



次の研究は、この質問を考えている際の脳波を調査する研究です。
多くの試験結果、この二つの問いは、全く違う脳の部分が活発になることがわかっています。

分岐点を変えるかどうか、という問いについては理性的に判断する脳の部分が活発になり、突き落とすかどうかという問いについてはより原始的な脳の部分が活発になる。
よくわからないけれどとにかく「NO!!」と脳が叫ぶ。(駄洒落じゃないよ。)

そしてこの原始的な脳の部分をこの研究者は「the inner chimp (内在する猿)」と呼んでおり、これは人間の前身が何万年もかけて同類と敵対するより協同したほうが生存するということを学び受け継がれた本能ではないか、という仮定のもと、研究している。


その後番組では猿を研究している人やさらに難しいジレンマについて研究している人をインタビューしていくのですが、倫理観を脳波で測るということ、生まれる前からすでにプログラムされていることということ、いや、正確に言うなら、かもしれないということ、非常に面白いと思いました。


もしこれが正しいとすると、id:Fujipon さんが参照されているよう、内田樹先生が書かれてるように大人としては「絶句する」ということが正しい返答かもしれません。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」への処方箋−いつか電池が切れるまで
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2014/07/29/123723


番組の終わりのほう、では猿と人間で違う部分は何かという話になります。そこで猿の研究者は言います。「猿も人間と同様多彩な表情や感情の表現をします。ただ唯一見たことがないのは、恥らいとか罪の意識を表したものです。」


深いーーー。