今日も空が広い

アメリカの片田舎から思いつくままに…

子供から学ぶ

ついでに同じ日にもうひとつ。

私は現在3歳児の母ですが、本当に子供から学ぶことが多いです。

例えば、子供を見ていると、生まれ持った性質と、社会の中で学ぶ性質がはっきりする気がします。

今アメリカで子育てしているので英語が中心なのですが、アメリカで子供たちが非常に早い段階で学ぶ言葉が“No”と“Mine”。
現在3歳で、かなりの単語数を使えますが、今でもこの2語は高い頻度で発せられるます。

No−私は反対する。

これって同調圧力の強い日本では違うと思われるかもしれませんが、ブログのコメント欄をみるとあながち間違ってないのでは、と思ってしまいます。なぜなら、同調するコメントより否定的なコメントが多いように思えるからです。匿名性が高いときは特にです。つまり本性がでる。

例えば、「命は大切」というような、100人いれば99人はYesというブログよりも、「死刑制度の是非」みたいな賛否両論あるようなブログのほうがコメントはとても盛り上がる。(という例えはちょっと強引かしら?)

実際私もついコメントしたくなるのは、ちょっとそれって違うんじゃない、というときであって、全くあなたの言うとおりだよ、というときはなかなか書かない。なぜならそれはすでにその人のブログに書いてあるから。なにも私には新しい知見を加えられない。それでもあえて同調コメントをするのは、社会生活の中で学んだからであると思う。そのブログを書いた人には喜ばれるだろうと想像する。「いつも読んでます、応援してます」そういった裏のメッセージとともにあえてコメントすることはあっても、つい書いてしまった、ということはなかなかない。

「私はあなたとは違う。」これは人とのかかわりにおいて出発点じゃないかな。違うからこそ、同じ部分を探す。合意できる点を探る。想像する。
子供と接していても、この出発点忘れないようにしたいと思います。

「No」は、「Yes」より先。

これは私が子供を生んで学んだことのひとつです。