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今日も空が広い

アメリカの片田舎から思いつくままに…

資生堂ショック、その先にあるもの

前回に引き続き、資生堂ショックについてまだつらつらと考えています。

(それにしてもこのネーミング、うまいことつけましたね。)

 

当然ながら資生堂ばかり取り上げられていますが、↓このジレンマかかえているの資生堂だけではないですよね。

 

  • 時短をしている母親:夫は全く非協力的、残業・土日勤務なんて絶対無理!!
  • 時短の人をカバーして長時間勤務を強いられている同僚:遅番・土日勤務当たり前で、全くプライベートな時間がない!!
  • 会社:一番売れる6時以降&土日の時間帯に人出が足りない!!人材のコントロールができない!! 

 

小売や様々なサービス業だけでなく病院や老後施設、工場勤務も同じような課題をかかえていると思います。

つまり、

 

  • どんなに業務効率化を図っても9-5時をコアタイムにおけない、または在宅勤務は無理
  • 学校やトレーニングなどを通したスキル・知識の習得が必要
  • 経験が成果につながる(まあ、これはどの職種にも言えることかともしれませんが。。。)

 

 

こういう職種は安易に派遣社員を補充すれば解決、ということにはならないかと思います。

(私はキャリアプランが描きづらい派遣社員ばかりが増えるのは反対です。)

 

 

おそらく産休・育休・時短制度を利用している人の割合が低ければ、問題なかった。

でも利用者が増え、さらに今後増え続けるかも、そしてその結果業績に支障が出ている、となったら制度自体を変えざるを得ない、という事態はどの会社にも起こりうるもの。

 

 

(もちろん、それ以前に企業努力も必要だというのは当然だと思います。また会社側が、誰でも使えますよ、という制度を作っておいて、使うのは「甘え」という論理は明らかに間違っているし、そんなところで社員、強いてはすべての働く母親を敵にしてどうする!?、と思います。)

 

 

じゃあ、どういう妥協案が考えられるか。

いくつか考えてみました。

 

妥協案1.

 

       原則、時短でも原則遅番・土日勤務はいれる。

       でもシングルマザーや夫は単身赴任&実家のサポートが無理な場合は免除可能。

 

 

シングルマザーはどうするんだ!という意見をたくさん読んだので、一部免除規定をいれる。

 

でも夫が忙しくて無理、というのは、免除規定にならないと思っています。「父親ももっと子育てしようよ!」「母親は父親にもっと子育てさせようよ!」と、思っているので。ただ、曜日の調整とか、月によって違う、とかフレキシブルなのはありかと思います。

 

女性の働き方を変えるには、当然男性の働き方もかえなくちゃいけない。

 

でも現実には男性の方が変えるのが難しい、これは本当に理解できるのですが、だから変わらなくていい、とはならないと思います。今はまだ男性の働き方が変わらずにできる範囲で多くの女性が働いてる。でもこれは今後壊していかなくてはいけない壁じゃないかな、と思います。

 

どうでしょう。

 

まだ納得いかない?

 

 

妥協案2

 

     免除なし、土日・遅番出勤が無理なのであれば、退職してもらう。

     でも中途採用を優先的に行う。

 

現在の新卒採用を半分くらいにして中途採用を増やす。

そして以前同社に働いていた人を優先的に採用する。(育児以外の理由でやめた人も同じように適用。)

また採用時には、以前の勤務実績も参考にし、給料やその他待遇を決定する。

 

そのため、一旦仕事をやめ子育てに専念するが、子育てが一段落したらまた正社員として採用される確立がぐっとあがる。

 

そうすると、おそらく店舗に立つ人の平均年齢は上がると思うのですが(例えば米系のフライトアテンダントを想像するとわかると思うのですが)私は全く問題ないと思います。

 

 

どうでしょう?

これもだめ?

 

 

妥協案3

 

       いままで通り時短は遅番・土日は入らなくてよい。

     (もちろん希望して入ってもよい。)

        でも年2回のボーナスは、入っていた勤務中の売上実績で決まる。

               

 

お給料を上げたければ、繁忙期こそ入りたいシフトに変える。それもボーナスという形で反映させる。

 

おそらく時短をしていれば当然お給料は下がっていると思うんですよね。以前の給料と比べると。

でも、皆それぞれいくらもらってるかなんて知らないし、時短したことない人であれば一層わからない。

お給料の違いを可視化して納得させる、って難しいなあ、と思います。

(ちなみに一般的にはどれくらい下がるんでしょうか?)

 

 

だから売り上げに連動したボーナス。

一日の売り上げはわかりやすいし、可視化しやすい。

会社としても払いやすい。

もらう方も、まとまったお金をもらう方が、月々割増手当てをもらうよりうれしいような気がします。

 

 

ただ、これの難点は、売り上げは社員の頑張り以外のところもあったりするので(デパート自体が寂れてる、とか、たまたま中国人旅行客が爆買いした、とか)、かならずしも公平、というわけではないのですよね。

そもそも売り上げに苦しんでる店舗にはインセンティブになりにくいし。。。

 

 

やっぱりこの問題、難しい。

 

 

 

ツイッターを読むと、「あっちがずるい」、「いやそっちのがずるい」みたいなコメントが多いような気がします。まあ、つい出ちゃいますよね。お互い不満がすごいたまってるのだから。

 

 

でもそれを乗り越えて、いろんな立場の人がその先にあるものを考えられるといいなあ、と思います。

(特に共働きをしているお父さん!あまり発言ないようですが、どう思っているのでしょうか。)

 

 

自分の子供が働くときになったらどんな環境を望みますか?

公平性、って何?

働き方と公平性ということについて、いろいろ考えています。

 

例えば、、、

 

私は現在アメリカで仕事をしているのですが、雇用形態は、一週間37.5時間をベースとしたエグゼンプ卜(残業代なし、つまり年棒制)で働いています。

 

でも同じ職場で働いているある女性は30時間をベースにして、週3日しか職場に来ない、という人もいたり、

 

私の上司は、全米で100人位部下がいる女性ですが、最近二人目を出産して、ステップダウンすることにしたみたいで、部下を持つ仕事を手放して勤務時間を短縮したり、

 

会社のCFOは43歳で小さい子供をもつワーキングマザーですが、年収数億だったりして(でもめちゃくちゃ仕事していると思われる)

 

個人個人が自らの実力&交渉力で会社からより良い条件を勝ち取ってますが、

そういうの「ずるい」、って思います?

 

もっと抽象化すると、

実力に応じた報酬や待遇に差がある、というのは公平だと思いますか?

それとも実力にかかわらず、すべての人が同等に扱われるのが公平だと思いますか?

または、勤務年数に応じて報酬が違うというのが公平?

 

公平性って何でしょうか。

 

 

資生堂ショックをツイッターで読みました。

 ツイッターではいろいろ批判的なコメントが。

テレビは見ていないのですが、こちらは読みました。

 

www.nhk.or.jp

 

難しい問題だなあ、と思います。

 

  • 時短をしている母親:夫は全く非協力的、残業・土日勤務なんて絶対無理!!
  • 時短の人をカバーして長時間勤務を強いられている同僚:遅番・土日勤務当たり前で、全くプライベートな時間がない!!
  • 会社:一番売れる6時以降&土日の時間帯に人出が足りない!!人材のコントロールができない!!(会社にとって来年どこで何人妊婦になって時短申請されるかわからないというのは予算を組む上で難しい問題ではないかと思います。)

 

それぞれの言い分が理解出来るだけに、難しいジレンマだなあ、と思います。

 

(人出が足りないのなら臨時作業員を雇えばよい、というコメントも読みましたが、売り時こそ正社員に対応させたい、というのが会社だと思います。)

 

これがアメリカだったら、正社員で時短をだれでも使える制度として提供している会社はほとんどないと思うので、最初に雇用された勤務体系で働けないとなったら、基本的には解雇だと思います。ただ、個別対応で、素晴らしい営業成績があったとか、素晴らしいマネージャーとかで、会社が失いたくない人材だと判断すれば、時短も対応するし、そういうポジションを用意する、という感じになると思います。(これは男性社員も同じように適用されます。)

 

また、アメリカだと個人の売上に応じた給与体系だったりすることも多いので、給与を上げたい人は逆に土日勤務を望んだり、ということもあると思います。(ただ、個人の売上と給与が直結すると、職場でより良い顧客の取り合いということになるのでかなり職場がギスギスします。)

 

アメリカではこれが公平性、って感じだと思うのですが、日本での公平性、って何でしょうか。

 

 

私は日本の働き方の問題の一つに柔軟性がたりない、と思っています。男性も女性も。

 

めいいっぱい仕事したいぜ−!!という時期もあれば、ちょっとセーブしたい、という時期もあって、それが超えればまたバリバリ仕事するよ!という時期がくる。

 

それぞれ様々な要望があって、いろいろな勤務体系があって、柔軟に個別対応があってもいいんじゃない?と思うのですが、なかなかできない。

 

何故か。

 

私が思うに、「ずるい」という人が出てくるから。それもたくさん。

 

だから公平性を守るために条件を満たせばだれでも使える制度にしなくてはいけない。

 

ーーー そして柔軟性は失われていく。

 

 

はあ、

難しい問題です。

 

 

 

 

 

 

 

 

育休世代ではないのですが

こちらの記事を読みました。

 

toyokeizai.net

 

私もワーキングマザーなので、育児と仕事の両立というテーマはとても興味深いテーマです。過去にもいくつか記事もかいていますし。

 

でもこの記事をよんで一番思ったのは、、、、まだまだ、会社は変わっていないんだなあ、ということです。

 

ちょっと調べてみたら、この記事を書いた作者、中野円佳さんは、日経新聞にお務めだったようです。

 

 

。。。。日経新聞、こんなに発信力があり、その上、エネルギーやバイタリティーがあり、行動力があり、人を惹きつける人材をやめさせちゃうわけ????

 

こんな社説を載せているのに????

 

(11月4日付け朝刊)

雇用改革テコに人の力を伸ばそう

http://www.nikkei.com/paper/article/?ng=DGKKZO93596640U5A101C1PE8000

 

(有料会員記事のようなので、読めないかもしれません。すみません。)

 

はあ〜。

 

もったいなあ、と思う。会社にとって。

彼女のような人材を、適所に配置して新しいことに挑戦させて会社の改革を行っていたら、会社のイメージも改善、優秀な女性もどんどん応募して、それにつられて本当に優秀な男性も応募して、人材ウハウハ!みたいなことになったかもしれないのに。

 

*本当に優秀な男性は、優秀な女性を好む、ということが持論です。その事例としては、クリントン大統領、オバマ大統領とうちのだんなを挙げておきます。(アメリカンジョークです。)

 

なぜできないのか。

一つの原因として最近思っているのは、公平性の罠じゃないかなあ、なんて思ってます。それとも、「ずるい!」って言われたくない症候群。なんちゃって。

 

。。。すみません。酔っ払ってきました。

 

 

また続編書きます〜    たぶん。

 

 

You don't get to choose your demons. They choose you.

You don't get to choose your demons. They choose you.

 

By John Irving

 

朝、車でラジオを聞いていたら、ジョン・アービングのインタビューをやっていました。ジョン・アービング、懐かしい。一時期はまって何冊か立て続けに読んでいました。

 

www.npr.org

 

現在73歳、まだ精力的に執筆活動をしているようで、彼の新しい本のプロモーションでした。

 

この新しい本も、また主人公が偉い目に合うような本のようで。。。

そう、彼の本、結構な確率で、登場人物がとんでもない不幸に合うんですよね。

家族の突然死とか、レイプとか、近親相姦とか。

 

私の中で今でも強烈に心に残っているのが A Widow for One Yearです。

 

www.amazon.co.jp

 

こちらも、主人公のみならず、ほぼ主要キャラは全編において苦悩に満ちたストーリーです。あるシーンでぐしょぐしょに泣いたのを今でも覚えています。

 

でもなんかそういうつらいところに、ちょっとした笑いが挟まれてたり、人間の強さが垣間見られたりして、読後感も暗いというわけじゃないんですよね。

なんか読んだあとすっきりしたりして。

 

だからこそ、また読みたいなあ、と思って、次から次へと読んでいたのですが。

 

読んでみようかなあ、この新しい本。(でもちょっと怖い。)

 

 

 

 

 

「待ち」の場所

なんか最近あまり体調がよくなく(肌が荒れてるとか、ちょっと腰がだるいとか、かすり傷がなかなか治らないとか、そんな感じに)、なかなか元気がでない毎日を送っています。

 

なんだろう。

この感じ。

ほんと、最近ワクワクしたのって、いつだろう。。。

 

 

そんなことを考えながら子供に絵本を読んでいたら、分かりました。

私の今いる場所。

 

「待ち」の場所....

The Waiting Place.....

 

..for people just waiting.

Waiting for a train to go

or a bus to come, or a plane to go

or the mail to come, or the rain to go

or the phone to ring, or the snow to snow

or the waiting around for a Yes or No

or waiting for their hair to grow.

Everyone is just waiting.

 

www.amazon.com

 

やばい、

わたし何かが起きるのを待ってるかも。

動き始めなくちゃだなああ。。。。

 

 

なんて思い始めてます。

どこからはじめようかしら。

 

 

 

ちなみに、この本はドクタースースの中では一番好きな本で、大学時代に友達がプレゼントしてくれたのを子供が小さい頃から何度も読みきかせている本です。

 

おすすめ。

 

「トゥモローランド」を見て  **ネタバレあり**

数日前、Xboxで子供と一緒にこの映画をみて、なかなか面白いけど、なんだかフニャー、、、、と思っていたら、こちらの記事を読んで、とても同感したので、ちょっと書いてみたいと思います。

 

**ネタバレあり**

 

glasstruct.hatenablog.com

 

なんか私も腑に落ちない部分が多いのですが、私の理解ではこうです。

 

フランクとニックスは何か新しい科学的物質を発見して、それによって過去も未来も映像として見られるようになった。

 

そして、その物質を現在の地球上の人たちから収集して観察していた。

 

でも実は収集していただけではなく、何故かその映像を人々の無意識に投影していた(サブリミナルに)。

 

そうすることで、人々の不安をかきたて一層その悪夢を実現する方向に人を動かしていた。

 

 

 

映画で使っていた言葉は self fulfilling prophecy でした。

いい日本語訳がないのですが、調べてみると、「自己実現的予言」でしょうか。

(ううーん、もっといい訳がありそうな気がするのですが。。。思いつかない。。。)

 

よくアメリカで使う例としてはこんなものがあります。

 

ウェイトレスが、この客はチップがよくないな、と判断する。

サービスが悪くなる

チップが悪い

やっぱり私の予言はあたるとウェイトレスは思う

 

 

つまり、こうなるに違いない、と思い、それに伴った行動を起こすことでその予言があたる、という意味です。

これは結構、マクロ的にも当てはまる、というのは理解できると思います。

例えば、

 

これから景気が悪くなるに違いない

消費を控えよう

本当に景気が悪くなる

 

とか、

 

銃犯罪が増えている

危険な世の中だから私も銃を持とう

一層銃によるリスクが増えている

 

 

みたいな。

 

この映画の場合、悪夢のような画像を警告として受け止め、改善していれば問題なかったのですが、不安を煽るばかりで逆に一層他者に対して厳しくなり、自分だけは資源を搾取してのり切ろうとすることで逆にその悪夢を実現してしまう、、、、人間が陥りやすい、このアイロニーを表現しているのかなあ、と思いました。

 

(だからこそ、そういったネガティブをはねかえす、ポジティブであり行動力のあるケーシーが選ばれたのだと思いますが。)

 

で、このメッセージは確かに大事だなあ、と思います。

今アメリカでは大統領選が(まだまだ先が長いのですが〜はあ〜)始まりつつあって、まあ、とにかく不安を掻き立てる。

 

私も夫も、いやいや、30年前60年前100年前よりよっぽど現代社会のほうが良いよね???!と思うんだけど政治家なんかはその不安を掻き立てることが票につながる、と思っている。

 

そうした不安ばかりを掻き立てることに対する警告なのだなあ、と思う。

要はそれぞれが自分で考えろ、っていうことだと思うんだけど。

 

そう。

So which wolf are you feeding?

 

アスペだったかもしれない息子クンの話

私はブログではなんとなく自分以外の話を書かないようにしてきたのですが、発達障害児をもつ親御さんのブログをいくつか読んでいるうちに、うちの「もしかしたら発達障害児だったかもしれない」息子クンについて書きたくなってきてしまいました。

 

なので、こんなケースもあるよ、として書いてみたいと思います。

 

前にも書きましたが、夫は私と結婚する前に一度離婚をしており、前妻との間に子供が二人いました。お姉ちゃんと弟クン。そしてアメリカによくある離婚家族のように、父親も共同親権をもち、子供たちは母親と父親の間を行ったり来たりしていました。で、その弟クンのお話です。

 

私が一番最初に会ったのはおそらく弟クンが小学2年生の頃。そして夫と結婚したの彼が中学2年生の頃でした。

 

そして最初に会った頃から、ちょっと変わっているな、と思っていました。

例えばこんな特徴:

 

  • 一人が好き:一人で黙々と遊ぶのが好きで、他の子供たちに混ざるのが嫌いでした。
  • でも大人は好き:大人は話を聞いてくれるからか、知らない人にも物怖じせず自分が話したいことを突然話しかけていました。
  • ジョークがわからない:だれかが冗談をいって周りが笑っても彼には何が面白いのかわからない。そのため冗談を説明するんだけど、なんか納得出来ない様子。
  • こだわりが強い:掃除機、スクールバスと地図が大好きで、一人で何時間も絵に書いたり眺めたりしました。
  • 極度の偏食:ハンバーガー&ポテト、チーズピザとトマトソースのスパゲッティーしか食べられませんでした。しかもそのトマトソースは、あるメーカーのある種類のみ。どうしても見つからなくて、他のメーカーのものを買ったら、すぐ違うとわかって一切食べませんでした。

 

小学校の先生方もおかしいと思ったのでしょう、アスペルガー症かもしれないので、診断してみれば、と勧められました。アスペルガー症を扱ったビデオなんかもつけて。

 

で、そのビデオ見たのですが、そこで取り上げられているケースはより重度なもので、確かに共通点はなくはないのですが、ちょっと違うんじゃない?みたいな感じだったんですよね。

 

結局夫も、母親である前妻も、今までどおりでいい、ということで、特に診断することなく、普通に学校に通わせていました。成績もすごくいいというわけではなかったですが、決して遅れているというわけでもなかったので。

学校側は、多少サポートをしてくれたけれども、(一人で試験を受けさせてくれたり)特に特別な支援なく対応してくれました。

 

当時、私も結婚しているわけでもないし、むやみに口出さず、父親と母親の決めたことをサポートしていこう、と思っていたのですが、若干、「でも診断してきちんと対応したほうがいいんじゃないかな」、と思ったのを覚えています。

 

でもしばらくして、「ああ、これで大丈夫かも」って思った日があったんですよね。

こんな会話を聞いて。

 

夕飯時、何かの話をしていて。ふたりともまだ小学生の時。

お姉ちゃん:You're so weird!!  (あんた変だよ!)

弟クン:I'm not weird, I'm just different!!  (変なんじゃないよ、人と違うだけ。)

 

なんか妙にはっきりと、堂々と言ったことに私は感心しました。

またこういうことを自分で言えるというのは、周りにいる大人が何度も彼に同じことを言っているからだな、と思い、そんな環境にいれば「ああ、大丈夫かも」って思ったんですよね。

 

そんな彼、今年大学を卒業しました。

 

あまり本人は言いませんが、やはり中学校高校時代は結構つらかった時もあったようです。友達も小学校時代からつきあっている一人ぐらいで、基本的に一人で過ごすことも多いし。大学の選択では、アメリカだと多くの子が家から離れ寮生活ができる大学を選ぶのですが、彼は寮生活や一人暮らしはまだしたくないとのことで、家から通える学校を選びました。

 

でも大学に入ってからは、自分の昔からのこだわりを使った専攻を選び、卒業時には成績優秀者にも選ばれました。またこの秋から大学院に行く予定で、そこでは授業料免除、生活費給付があるのですが、家から遠くはなれており、一人暮らしを始める予定です。

 

今の彼、不安はたくさんあるようですが、とてもワクワクしていて楽しそうです。

I am ready for this! って言ってました。

 

その成長ぶりに、夫も私も本当に誇らしい気持ちでいっぱいになります。

 

私にとって発達障害(かもしれない。診断していないので)の身近なケースは彼くらいで、また重度もかなりバリエーションがあるため、発達障害だと思ったらこうした方がいい、なんてとても言えない。でも、彼と暮らしてきてぼんやり思うのは、発達が他の子より遅くても、遅いだけで発達していないのではないって事な気がします。だから、発達する時間の余裕をあげるといいのかなあ、と。

 

(ひどい偏食だったことも書きましたが、これもあまり無理に直さなかったのですが、高校くらいから突然、いろいろな味に目覚めたんですよね。少しづつ自分から試し始めた。試してみたら、美味しいと思えるものがどんどん増えていって今ではなんでも食べられる。いや、食べられるどころか、なんか新しい味を試したくてしょうがない、という感じ。当然日本食も何でも大好きです。(まあ、もちろん納豆とか食べてみたけど、あまりおいしいと思えないものも存在しますが。))

 

ほんと、子育ての肝って、障害あるなしかかわらず、焦らない、時間をかけて見守る、ってことな気がします。

 

。。。いや、本当これが一番むずかしいのですが。。。

(うちのもう一人の息子くん(今7歳)を見て、ついつい、これくらいできるんじゃないか、とか思ってしまう、ダメ母です。。。)

 

多様性 パート2

多様性多様性、なんて考えていたらこんなコマーシャル見つけました。

ウェルズ・ファーゴという銀行が最近出したコマーシャルです。

 

www.youtube.com

 

 

女性が二人、手話を一生懸命勉強しているシーンから始まるのですが、最後のシーンで、この二人は結婚していて耳が不自由な女の子を養子に迎えるために勉強をしていたということがわかります。

 

そして最後にこのメッセージ。

 

“Everyone works hard for a reason. Working together, we can help you prepare financially for when two becomes three.”

 

「目的があれば皆がんばれる。二人が三人になった時の準備をお手伝いさせてください。」(うううん、訳がへたすぎ。。。。)

 

 まあ、このメッセージはどうでもよいんですが、LGBTの夫婦であること、LGBTが養子をもらうこと、しかも養子が障害を持っていることでちょっとこちらニュースになっているようです。

しかもしかも銀行超大手のウェルズ・ファーゴ

 

 こういうのを見ると、どう思います?

日本もこういうストーリーが増えたらいいなあ、と思います?

 

 私は結構感動してしまいました。

 

 多様性の許容って、やはりグラデーションな感じがします。

 

 

おそらく、これを10年前とかにみたら(いやもしかしたら5年くらいでも)、「え!!(かなり違和感)」って思ったのではないかなと思います。

 

でも今は「なんかジーン」。

 

で、あと5年くらいしたら、「え、っていうか普通じゃない?なんでわざわざコマーシャルに」みたいになるのでは。

 

 

こんな感情が連続的につながっている感じがします。

 

 

私が思うに、この変化のスピードをはやめるのが、アメリカだとやはりメディアな気がします。黒人の大統領も、同姓のキスも、最初に見たのはリアルな社会ではなく、テレビの中でした。リアルよりちょっと一歩先をいく社会を見せてくれるテレビドラマの世界、アメリカだと視聴率がこちらのほうが取れるのだと思います。

 

(逆にリアルよりちょっと前を描くのが日本のテレビドラマなような。やはりこちらの方が日本だと視聴率とれるんでしょうね。)

 

で、最初に見たときはドキッとするんですが、何度も見ているうちにだんだん普通になってくるんですよね。たとえテレビの中とはいっても。


そう、「許容する」なんて大げさなものじゃなくて、いってみれば「慣れ」なんだな、と思います。

 

 

こういうビデオを見たり、アメリカのドラマを見たりするとゲイカップルはかなり受け入れられているように思えるかもしれませんが、まだまだ激しく反対する人は多いです。特に私が住んでいるような保守的な州だとなおさら。特に敬虔なクリスチャンは頑なに反対している。ゲイにはサービスしない!と言い切っているビジネスもあります。また、子供がゲイだとわかったら家から追い出して子供がホームレスになるというケース、今でもたくさんあるそうです。

(コマーシャルのコメントを見ても、明らかにクリスチャンの人からのバッシングが見られます。。。)

 

でもアメリカの場合、まわりが黙っていないんですよね。自分はゲイではないけど、ゲイを支持する人、こちらが黙っていない。日本だとこのグループはつい傍観者になってしまうんですが、アメリカだと何事もSpeak Upの文化で育っているので、まあ、黙っていない。

あんたらクリスチャン、ちょっと頭おかしいんじゃないくらいの勢いで突っ込んでいく。

 

結果、反対する人が騒げば騒ぐほど、そうでなければ傍観者だった人達が立ち上がって支持をしていく、という構図ができたように思います。

 

 

まあ、日本は文化が違うので同じことを望むのは間違っているのですが、、、

 

でも、、、、

 

「ありえない」「無理」「なんか違和感」よりも、「ありじゃない?」「いけるいける」「応援する!」が増えるといいなあ~ と思います。        

 

多様性の許容度

いつも読ませていただいているこちらのブログのこの記事を読んでいろいろ考えさせられたのでちょっとまとめてみたいと思います。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

 

特にこの部分。

 

自分と(障害のある)その人たちは分かれているわけではなく連続体としてゆるやかに繋がっている

 

(カッコ内は文脈がわかりやすいよう私がいれました。)

 

本当にそうだな、と思います。

 

うちのオフィスに車いすの女性がいるのですが、私が最初に彼女に会った10年前は普通に歩いていました。その何年後かに、多発性硬化症という難しい病気になったことが発覚し、少しづつ体の機能が衰えてきました。最初はつえを使って歩けていたのですが、次第に難しくなり、この3年くらいは車いすです。

 

まさに連続体としてゆるやかにつながっている。

 

まわりにいる私達は車からの出入りなどを手伝ったり、同じ方向に行くときは押したりしますが、基本的には何でも自分でやっていて、特別なことは何もしてません。困ったことがある場合(例えばものを落としてとれない、とか)はすぐ言ってくれるので別にみんな心配していないし。逆に私が忙しい時は手伝ってもらったり。

 

(そういえば、大学時代にも車いすの友達がいたなあ〜。ヨシくん元気かな〜。)

 

教育の取り組み方として、まず啓蒙する、というのは王道なのかもしれませんが、スズコさんが懸念されるように線引きになってしまうのは残念だな、と思います。

 

あからさまな障害がなくても、弱者は存在します。

それは、食が細くて給食が食べきれないAさんだったり、かけっこが遅いBくんだったり、漢字がどうしても覚えられないCさんだったり。

そういう時、余分に食べてあげられるDさんだったり、応援してくれるEくんだったり、教えてくれるFさんがいるようなクラスは、車いすに乗った人がクラスメートになった時、適切な対応が取れるのではないか、なんて想像します。

 

なぜなら、その組織は一番の弱小メンバーを許容できる組織だから。

そしてその弱小メンバーは場面によって次々変わることがわかっているから。

 

でも正直、子供の多様性の許容度は大人にかかっている、と思います。

 

うちの子供が行く学校は、結構白人、黒人、ヒスパニックといろいろ混ざっているのですが、1年生の息子は人種のことは全然言いません。例えばこんな会話。

 

私:最近良く遊ぶイーサンってどんな子なの?

息子:すごく足が早くてマインクラフトが大好きでボブっていうお兄さんがいる。

 

っで、後日会ってみると、白人だったり黒人だったりミックスだったり。

 

私が夫に話すときはたいていこんな感じなので、

 

私:ケリーっていう黒人で去年結婚して今年双子を生んだ人がいて、、、

 

ちょっと反省。

 

でもこれは、おそらく彼の回りにいる先生が人種的なことを一切言わないから彼も言わないんだろうな、と想像してます。学校には車いすに乗っている子供もいるみたいだし。多様性に対して大人の許容度が高いから、子供の許容度も高くなる。

 

そしてこれからの時代、加速度的にいろいろなモノ、人、考え方がミックスされる中そこで柔軟に仲間を見つけていける人が強いだろうな、と想像しています。

 

だから私も時たま自分の多様性の許容度チェックしています。

そして本当に許容しているのか、という点を、家族のメンバーとして喜んで迎えられるか、という点に変換しています。

 

つまり、息子が将来結婚相手としてこんな人を連れてきた場合、私はそれを喜んで祝福できるか、ということです。

例えば:

  • 人種が違う
  • 言葉が通じない
  • 目が見えないなど障害がある
  • 女性へ性転換した男性
  • 犯罪歴のある人
  • お父さんがヤクザ

 

。。。3つくらいはきついかも。

(どれかは言えません!)

 

まだまだ修行が足りません。

 

 

 

 

 

 

 

「傷口から人生。」を読んで

なんかしばらく書く気がしなくなってしまい、ブログをだいぶサボってしまいました。

(でもブログって仕事とちがっていくらでもサボれるのがうれしい。)

 

はてブロ購読中の方が書かれた熱い感想文を読んで、すぐキンドルで購入し、読ませていだきました。

 

www.amazon.co.jp

 

 

痛い。。。

苦しい。。。。

 

軟弱な私は途中つらくなって休憩をしながら読んだのでずいぶんと時間がたってしまいました。

  

こちらの本の読書感想文です。

(読んでない人にとってはあまり面白くないかもしれません。すみません。)

  

母親との葛藤

 

やはりここに一番心惹かれました。

母親との対決とか。

祖母・祖父との関係とか。

 

私も母親なので、つい母親目線になってしまうのですが、小野さんの母親もきっとすごい怒りを抱えていたんだろうな、と思いました。自分の母親(小野さんにとっては祖母)に対して。

 

 

小野さんの爆発によって母親も祖母から求めていたものを得られた。

 

-それはもしかしたら、「ごめんね」という言葉だったかもしれない。

-それともそれは、暴力から守ってもらうという行為だったかもしれない。

 

 

なんだったのかはわからないけれど、それはお母さんの長く閉じた心を解き放つ鍵になった。

なんかとても皮肉なことだけれど。

 

 

家族でもそれぞれ別のストーリーがある。

でもそれぞれが自分のストーリーにどっぷりはまっていて、お互いのストーリーを理解できない。

なぜなら「どうして私を理解してくれないの?」という心の声が大きすぎるから。

 

 

 

 

夫婦でも親子関係でも、師弟関係でも、どうしても理解してもらえない関係を何年も続ける苦しみは、想像するだけでも息がつまる。

 

こういう本を読むたびに、私は、そっとその人の近くにいって、背中をさすりながらよしよしをしたくなる。

 

恨みたくないのに恨んでしまう。

That’s OK. You’re OK.

 

恨んでも仕方がないのであきらめて離れようと思う。

That’s OK. You’re OK.

 

怒りがあふれて仕方がない。

That’s OK. You’re OK.

 

 

 

That’s OK.

You’re OK.

 

よく考えるとこれまさに今、私が子供に伝えたいと思っているメッセージな気がします。

転んだといって泣いていたり、意地悪されたといって怒っていたり。

よしよし、つらかったね、といいながら、でも送りたいメッセージはこれだったりする。

 

 

大丈夫。あなたは大丈夫。

 

 

どんなにつらいことがあっても乗り越えられる人になってほしい。

がんばったり、方向転換したり、立ち止まったり、あきらめたり、ぶつかったり、しなやかに生きていってほしいと思う。

 

生きることさえあきらめなければ。

 

 

(何度もぶつかってぶつかって、くじけて、外にでて、また戻ってぶつかっていく、小野さんのそのあきらめない精神はすごい!)

 

 

自分の言葉

 

小野さんの自分の言葉に対するまっすぐな姿勢がいいな、と思いました。

うそっぽい、ハイテンションな飲み会が苦手なところとか。

 

(そういえば、高校のときの授業で「身体性のある言葉」というテーマを扱ったことがありました。たしか副題は「茶の間でロックンロールがわかるか!」(笑))

 

本当はだれだって、自分の言葉、自分のそのままの姿を受け止めてもらいたいと思っている。

 

身体を感じられない言葉ばかりが蔓延してしまうような気がしてします。気をつけないと。テレビでもインターネットでも飲み会でも家でも。着飾って着飾ってようやく認められる。でもその自分は素の自分とぜんぜん違う。

 

 

私は身体を感じられる文章が好きです。小説でもエッセイでもブログでも。

 

 

スペイン巡礼の旅

 

スペイン巡礼での出会いがたくさん書かれていたのですが、私も経験してみたい!と思いました。

 

でも私は60歳くらいになってから夫とゆっくり回ってみるというのにあこがれるかなあ。

いろいろな若者の話を聞きながら。

。。。。でも、体力的にかなりきつそう。。。。

(まあ、簡単にできることだったらそんなすごい体験にはならないわけですが。)

 

はたして??!?